中国を知る:中国と海洋文化

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中国と海洋文化

「中国と海洋文化」は、ナショナルジオグラフィックが提供する番組シリーズ。

3回にわたり、海のシルクロードを歴史と現在からたどります。原題は「Maritime China」(マリタイム・チャイナ/海上の中国)。

シリーズの背景

Victoria_WatercolorによるPixabayからの画像

海のシルクロードは、東洋と西洋を結ぶ海上交易ルートとして、古くから栄えてきました。

15世紀に中国明朝の武将、鄭和ていわの率いる木造の大船団が永楽帝の命令で航行をスタートし、アフリカへと向かいました。

番組では海洋史家のサム・ウィリス氏と一緒に、この海路をたどります。

シリーズの流れ

大船団の航跡を追って中国を出港し、アジア・アフリカ・ヨーロッパの各地に寄港。

交易をとおして多様な文化が交錯し、新たな世界が築き上げられてきた歴史や、海のシルクロードの現在の姿を探ります。

まさにサム・ウィリス氏のいうとおり「過去と現代のせめぎあい」を堪能できます。

以下では、私が視聴した第1話と第3話を詳しくご紹介していきます。

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第1話(The Gateway)

番組の概要

陸だけでなく海のシルクロードも、西はイタリアのローマ、東は中国の長安を起点にします。

この番組の旅は中国側からスタート。

明朝の武将だった鄭和ていわが率いた大船団は、巨大な木造船「宝船」で西をめざしました。

5万キロを超える旅路を可能にした木造船は、どのように造られたのでしょうか。当時の技術に迫リます。

次にマラッカ海峡へ向かいます。

マラッカ海峡はとても狭く、海賊もちょくちょく出没し、世界で最も危険な海域の一つ。

海上警備や水先案内、ハイテク化された港の荷役作業に立ち会います。

港町マラッカには大船団の痕跡が残っています。

交易で栄え、多様な文化や宗教が交じり合うことで生まれた独自の生活スタイルが今も受け継がれているのです。

1000年以上前から、広州をはじめとする中国南方の諸港は、国際的な交易網の一部に組み込まれ、遠隔地貿易が盛んでした。

グローバル化が言い過ぎとしても、ユーラシ化は、この頃すでに達成されていたわけです。

2007年に発掘された宋時代の巨大木造船

2007年に発掘された宋王朝の商船は世界中の知識人に衝撃を与えました。

この商船は全長30mの巨大なものだったのです。

広東省の海域で800年以上前に沈没したことが分かっています。

磁器

考古学者の調査によって、金や銀だけでなく、中国が世界に誇る輸出品もたくさん見つかりました。13,000点の磁器です。

これらの磁器はほとんど普段使いの品でした。

なかには高級品もあります。高級品は船長や乗客の所有物だったかもしれません。

銅貨

積荷には現時点で200枚以上の銅貨も見つかっています。

これらの銅貨は取引に使用されたか、溶かして加工されたかのどちらかです。

銅貨は輸出禁止だったので、全長30mの巨大商船は密輸船でした。。

実際に加工された銅製品も積み荷から出てきました。

とにかく、商人たちは命がけで貴重な金属を密輸しました。

中国は宋時代に貿易大国

法律はさておき、密輸も含めた交易によって、中国は宋時代に貿易大国となりました。

永楽帝統治下の大航海

やがて15世紀になると、国の支援のもとで遠隔地貿易の黄金時代がきます。

1404年、首都を南京とする明王朝では、皇帝の永楽帝が即位して2年が経過し、最も信頼する臣下に命じて、異例の海上進出を企てました。

宦官であり、武将でもあった鄭和の大航海です。

鄭和の巨大船(宝船)

第3話 (To The End of The Earth)

neufal54によるPixabayからの画像

番組の概要

永楽帝の命令による鄭和の東アフリカ到達のエピソードをもとに、アフリカやヨーロッパにおける運河拡張の歴史に迫ります。

エジプトのスエズ運河をはじめ、ギリシャのコリントス運河とピレウス港も登場。

ギリシャ・ピレウス港の躍進

ギリシャのピレウス港は、エーゲ海の西海岸のサロニコス湾に位置し、アテネの海の玄関となってきました。

下火になっていたこの港は、中国遠洋運輸集団(COSCO)から5億ユーロの出資を受け、再生に賭けてきました。

過去

19世紀初め、ギリシャ人はロシアの穀物を輸出して、産業化の進む西洋へ食料を供給していました。

この拠点となった港がピレウス港でした。

海運王の登場も促しました。なかでもアリストテレス・オナシスは有名です。

ギリシャと海の関係

Mike MarchantによるPixabayからの画像

船は古代神殿と関係が深いです。

どういう関係があるのでしょうか。

ギリシャの歴史を象徴する古代石柱の加工技術は造船職人たちの技術に由来しています。

ペロポネソス半島の古代コリントス人たちは、造船用工具で石を加工しました。

石材の多くが小穴の多い地元の石灰岩でした。

やがて、この技術が発展して美しきいアポロン神殿が作られました。

欧州の建築はその影響を受けています。比較的新しいアメリカの建築でもそうです。

現在

ピレウス港はこの10年で再生しました。いまや欧州の港トップ10入り。

ピレウス港の躍進には、それなりの理由がありました。

  • 錨が不要で、船は速やかに入港して荷下ろしや荷揚げをする
  • 船倉を開放し、同時進行で作業する

これら2点の特性を活かして貨物を効率よく捌き、欧州向け貨物の行方に3つのパターンが出てきました。

  1. 別の船へ載せ替え
  2. 陸上輸送で国内向け
  3. 陸上輸送で欧州向け

船の規模や港の規模はこれまで大きい方が良いとされてきました。その象徴アイテムが錨ですね。

でも錨が不要のピレウス港でも巨大に。航路の多様化が原因。この港の展開はリープフロッグ型経済発展の好例です。

2年前まで貿易港らしい港がなかったピレウス港は今や巨大な港と化しています。

巨大な港に対する地元民の評価はどうでしょうか。

ピレウス港への出資者は中国なので、中国人が大勢やって来ると思われました。

蓋を開けてみたら、役員が5人か6人来ただけ。残りの1400人はギリシャ人です。

このため、貿易港が地元民の雇用を拡大したわけです。中国の投資の上手さを痛感します。

オリーブ製油産業の展開

Galina AfanasevaによるPixabayからの画像

ピレウス港が地元民の雇用を拡大したことは、地元農業にも確認できます。

ギリシャでたくさん取れるオリーブ油が、この港から輸出されています。

ペロポネソス半島西部にあるオリーブ園 では、新たな市場を開拓する人たちがいます。

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