2000年代半ば中国の家族コンビニの謎

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私が中国へよく行ったのは2005年前後。

以下に引用するみこさんのツイートを読んで、ようやく長い謎が雪解けしてきました。

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2000年代半ば中国の家族コンビニの謎

当時、浙江省のあちこちでマンションの1階に家族や夫婦で営業するコンビニが多く、客がいないから朝から晩までテレビを見ているだけ。それでも生活が成り立っているのがとても不思議でした。

2000年代半ば中国の家族コンビニの謎は、その後の私の中国経験に大きな課題となりました。

こういうお店はだいたい、店内の照明を消して薄暗く、商品は乱雑に積んで陳列も適当。商品には埃をかぶったものもあります。店内のブランド力でお客さんを引き込むことができない個人商店があちこちにありました。

いろんな中国人留学生たちに家族コンビニの謎を尋ねましたが、彼ら彼女らにも謎とのことでした。

この謎に光を当ててくれたのが、みこさんのツイートです。

コンビニ夫婦に子供たちがお金を渡しているのかとも思いましたが、どうもそうじゃない。

いったい客の来ないコンビニを通して長い間営業し続けられるのか本当に謎でした。これを私は中国のグレー経済と名づけていました。分かるようで分からなかったからです。

一つの答えが株にあるということが分かりました。てっきり1990年代の中国の株式市場は上海だけに成立していると思ってました。

しかし、株の人気は中国の広い地域に展開していたのかなあと想像します。CCTVドラマ「大浦東」で描かれた世界は、1990年代に上海から中国の他の地域へ広がっていたのです。

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株に加えて不動産も

みこさんのツイートから、株に加えて不動産販売が少し遅れて中国で動き始めたこともわかりました。

株で資産を形成した人たちと、それを元手にかはともかく、都市開発で今までの住居を政府に売り払い、新しい住居または金銭を手に入れた人たちもいたわけです。

もちろん、90年代に株で儲けた場合と00年代以降に株で儲た場合では利益が異なったかもしれません。私が10年代になって留学生たちとよく話しても、グレー経済のお金については全くわからないと言っていたので、時代的あるいは世代的にズレがあるのでしょう。

個人商店救援策

この記事を見ていますと、グレー経済の個人商店はやはり家族経営が多く、売上は低かったようです。

持ちこたえてきたのは家賃の低さ。10年代後半になってアリババが個人商店のコンビニ化を進め、全土規模で個人商店の活性化に務め始めました。

てすから、私の見たグレー経済の個人商店は必ずしもお金が裕福だったとは限りません。個人商店のなかでグレー経済から脱却できなかった人たちが近年コンビニ化したともいえます。株式、不動産の波に乗れなかった人たちの一部が商店活性化に関わったのかなぁと今は納得しています。

中国の経済発展のツボとさらなる謎:リープフロッグ型経済発展

中国は内需が大きすぎるので単純には世界経済史を参照できませんが、金融市場が発展するということは、どこかから金か現物を引っ張ってくる必要があります。

どこから引っ張ってきたのかがこの30年間の中国経済発展のツボかなと思います。

中国は資源が豊富なので現物を外国から引っ張るのは不要。そうすると外国からお金を引っ張ってきたことになるんですが、これも正確じゃない気がします。

といっても流通するお金を乱発したとも考えにくく(いま現金不要だし)、おそらく株式投資や不動産投資が担保として動いたのかなという風に感じます。

もともと中国は土地資源または農産品が豊富です。そのうえで1970年代からの工業製品が90年代から00年代にかなりストックされていたと思います。活用されてきたと言い換えられるでしょうか。

そのストックが中国全土に行きわたって、2000年頃にお金じゃない形の経済、つまり物質的な経済がまず発展したのかな。その直後を金融がフォローをしてきたかと。

近年の中国の経済発展は、今までの世界史にはない展開なのでよく分かりません。

今までにない展開とは、リープフロッグ型経済発展のことです。これまで日本はキャッチアップ型経済発展をしてきたこともあって、中国の発展が分かりにくいのです。次の記事などを参照してみてください。

教育の投資

昔から中国は教育熱心でしたが、この20年ほどで子どもたちが教育面での投資対象になってきたかなと感じます。

土地開発という中国の強みはまだまだ残っています。

他方、各家族からすると、株式投資や不動産投資の旨味が減った分、次に投資対象となるのは自分たちの子供です。

親戚の子供たちを見ていると、中国は詰め込み教育が強くて大変そうですが、人生を振り返ると若い頃しか詰め込めないので、遠くから見守ります。

派生的に思い出した浙江省の記憶

以上、2000年代の中国を思い出していたら、浙江省の思い出までくっついて蘇ってきました。

後に黒龍江省出身の女性からいずれ自分が私を中国に連れて行くからそれまでの中国の写真は全部捨てろと言われ、真に受けて浙江省の写真を全て捨ててしまったことを悔やんています。恋人の写真は捨てても街の写真は残した方がいいです。

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