松本清張・横溝正史の映画にみる近代家父長制

バーチャル経済史
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年明け早々から松本清張の作品と横溝正史の作品を映画で見まくっています。

それで両者の原作の映画を比較ばかり考えてます。

1960年代に日本はルイス転換点を超えました。農村部ではかなり人口が減りました。この背景をもとに作られた小説や映画はたくさんあります。

この記事では松本清張と横溝正史が原作の映画を比較して、歴史社会学としてまとめています。とくに近代家父長制を中心に考えます。

両者とも大枠は都市と農村ですが、視点が対称的です。松本清張の映画では都市を視点にして農村との関係が舞台となります。これに対し、横溝正史の映画では農村を視点にして都市との関係を舞台にしています。

なお、2022年1月の映画観賞リストでもあります。松本清張原作・中村登監督 『波の塔』1960年、だけ感想が書けませんでした。

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松本清張・横溝正史の映画にみる近代家父長制

松本清張の原作映画と横溝正史のそれを比べるといくつかの同異に気づきます。

映画やドラマのリメイクのしやすさ

  • 松本清張の原作映画はテーマを個人の心理にまで落とし込めていて、心理をもとに犯罪が行なわれるのでリメイクしやすいです。状況をいじりやすいのです。
  • 横溝正史の原作映画はリメイクしにくいです。横溝の作品では近代化家父長制のもとで母違いの子供が父系図的に増殖され、状況をいじりにくいのです。

現代のように世代間の問題や親子間の問題が断片的になると、作品自体が古いということになりがち。

松本清張と横溝正史の作品をあえて二項対立でまとめると、松本清張の世界は過去を隠す個人の物語で、横溝正史の世界は過去を暴く家族の物語です。

過去を隠す世界は今にリメイクしやすく、過去を暴く世界はリメイクしにくいというわけです。

アイデンティティの歴史からみた二つの方向

  • 松本清張の原作映画…農村・漁村などの田舎で育った人がその田舎で事件を起こす。犯人のアイデンティティの歴史は都会に出なかった人たちの地域と過去で、これにしがみ付いている。
  • 横溝正史の原作映画…農村・漁村などの田舎で育った人が都会に出て事件を起こす。犯人のアイデンティティの歴史は都会に出た人たちの故郷と過去だが、これを消したいと思っている。
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松本清張原作映画の感想

松本清張原作映画の世界は近代家父長制の実態を詳しく描いています。

松本清張原作・渡辺祐介監督『黒の奔流』1972年

岡田茉莉子の唇が青白い点でグロテスクだったのが『黒の奔流』です。

近代日本や20世紀日本の男性ってセクハラとパワハラに人生を賭けていたと納得します。外国でもだいたい同じかもしれませんが。近代家父長制とはセクハラとパワハラの大量生産といったところです。

ここは小津の『東京物語』から「(戦争に負けたから)馬鹿な奴らが黙っただけマシ」だと考えざるをえません。まぁ、『黒の奔流』は戦後の映画ですから「バカは戦後も威張ってた」となりますか…。

松本清張原作・大曽根辰保監督『顔』1957年

岡田茉莉子主演、笠智衆出演。

笠の若い頃をはじめて見ましたが老けていました。

岡田茉莉子の唇が相変わらず青白くて心配したら、白黒映画だと数分してから気づきました。

当時のファッション業界が表面テーマなのでいずれ細かく突き合わせ作業しようと思いましたが、原作は文庫本で50ページほど。

短編小説に小見出しがついていて面白い構成。ファッションショーの文字が一つも出てこず映画とは別物と考えた方がよさそう。

「ファッションシヨウ」という言葉に萌えましたが、原作ではファッション自体もテーマになっていませんでした。

映画に出てくるファッションショーの作品類はディオールやバレンシアガの1950年代風。伊東茂平グループの雑誌『わたしの着物』を思い出しました。レナウンが実名で衣装協力。ナイロンタフタやナイロンサテン、当時にナイロンがかなり普及していて定着もしていたことを痛感。

人工が自然を追いかけた20世紀です。

松本清張原作・斎藤耕一監督『内海の輪』1971年

近代家父長制の日本男性の暴虐にたいし、女性側の心理を軸に描いた作品が『内海の輪』です。

近代日本を舞台にしてるので話の展開が冗長ですが、岩下志麻の好演のおかげで映画として引き締まっています。

岩下志麻のベッドシーンがいくつかあって、志麻ちゃんファンとしてこの作品が思い出ぶかいものになりました。

男性と女性って本気が出れば女性の方が強いことがよくわかる映画です。

近代日本の男性がどれほど空元気で威張っていたかが逆説的にわかります。この点を中尾彬がうまく演じていたと思います。

松本清張「球形の荒野」

唐招提寺の芳名帳で主人公女性(島田陽子)の亡父と似た筆跡。その父は米芾を書の模範としていました。父は橘寺には寄らず、唐招提寺で記帳したらしい。

意味深そうな出だしにワクワクしましたが、前半のリズムが軽やかでサスペンスの展開を予感しましたが、後半で冗長にだらけていきました。

推理サスペンスと父子ロマンスとのバランスがイマイチです。

米芾(べいふつ)という書家をはじめて知りました。

横溝正史原作映画の感想

横溝正史原作映画の世界は近代家父長制の結果を詳しく描いています。

男のやりたい放題の家父長制で、分家や母違いの子供ができまくってカオスです。

横溝正史原作・市川崑監督『悪魔の手毬唄』1977年

常連俳優に石坂浩二と岸恵子と草笛光子。

仁科明子がどんだけ綺麗かを期待。ですが松方弘樹と結婚してたと妻にいわれ興ざめ。ショボすぎます。

もとい、戦前の事件が未解決なまま戦後に一族から別件が発生(1952年の山梨県か岡山県が舞台)。

横溝正史原作の映画にあるある構図です。

ブドウの産地にするとか葡萄酒工場どうのこうのと山梨県が舞台ぽいのですが、岡山県「総社」という文字がなんども画面に出てきました。

この作品も親族関係や村内関係がややこしくて脳みそカオスです。

映画史の一面がみられて新鮮でした。

トーキー映画の登場で活弁が仕事をなくす。導入当初は活弁がトーキーを兼業していたそうですが、やがて駆逐。

日本でのトーキー初上映は1931年の『モロッコ』(マレーネ・ディートリヒ)。『悪魔の手毬唄』でモロッコが1分ほど挿入されています。

市川崑監督『女王蜂』(1978年公開)

横溝正史の原作は戦前の事件を戦後の事件でフラッシュバックさせるものが多いです。

舞台が農村なので、つい戦前の江戸川乱歩の都市と比較してしまいます。

乱歩の都市は街路構造や近代建築にトリックがありますが、『女王蜂』をはじめ横溝正史原作の映画は家系図とくに男系図がトリックになります。

ですので、横溝正史原作の映画は女性がたくさん出てきます。

そんななか、『女王蜂』は男性がたくさん出てくる映画として珍しいです。

男の焼餅がネタバレです。

一つの男系図を軸に複数の女系図を重ねて考えると、横溝正史原作の映画がわかりやすくなります。

横溝正史原作・市川崑監督『獄門島』1977年

石坂浩二主演の金田一耕助シリーズ、私はとても好きですが年をとりすぎました。

まったく怖くないのです。

でも小学生のときに見た『犬神家の一族』の衝撃を忘れないものだからつい見てしまいます。

横溝正史原作・市川崑監督『病院坂の首縊りの家』1979年

石坂浩二主演の金田一耕助シリーズのなかで、この映画はもっとも家系図がややこしいといわれています。

家系図を書きながら見るべきだったというコメントが多く寄せられています。

近代家父長制の強い時代の日本の闇。

家族・親族関係にない人力車が長時間映画を貫通して裏の主役になっています。台詞に出てくる人間関係が複雑すぎて映像が追いついていない分、人力車設定が偉大でした。

まとめ:松本清張と横溝正史の歴史社会学

政府が貧しかった近代日本では、経済設備や政治建造物などの国家メンテナンスの費用がかさみました。

近代家族・家父長制の「聖域」を作り出すことで、個別企業から個別メンテナンスを受けている「主人」(家父長)から家庭メンテナンスを受ける仕組みが女性へ働きました。その結果、国家メンテナンスの費用を減少させることができた。

戦前の家父長制は貧困問題と切り離せません。

戦後の家父長制は国民が豊かになる過程であり、同時に、女性にも男尊女卑を納得させる過程でした。

戦前の家父長制をみると貧困の深さが痛々しく、男性は老害事例が多いです。戦後の家父長制をみると女性がシステムを受け入れた事実が痛々しく、老害に男女差なしかと思えてきます。

といっても、最近見倒してきた松本清張と横溝正史の映画は、貧困直結とはいっても戦前が舞台じゃありません。だいたいは戦後すぐから1960年代にかけて。

松本清張の世界は過去を隠す個人の物語です。都市部で過去を隠して、男性も女性も近代家父長制を最大限に利用します。松本清張原作の映画は近代家父長制の実態を描いています。
横溝正史の世界は過去を暴く家族の物語です。近代家父長制の柵(しがらみ)が都市部にまで伸びてきて、地方(田舎)に一族が集結してから事件がはじまります。横溝正史原作の映画は近代家父長制の結果を描いています。

過去を隠す世界は今にリメイクしやすく、過去を暴く世界はリメイクしにくいというわけです。

最後に、広視野経済学は松本清張と横溝正史の歴史社会学から、次の視点を重視します。

  1. 近代家父長制に関連させてジェンダーやLGBTを考える視点
  2. 近代家父長制が減退した理由はルイス転換点を越えたことだが、転換点後に日本の過疎化が恒常的となった視点

また、アイデンティティの歴史からみた二つの方向は、謎解きとなる土着(田舎)の俳句や唄が田舎で詠まれるか都会で詠まれるかの違いにも現われてきます。前者が横溝正史の世界に多く、後者は松本清張の世界です。

余談とおまけ

2022年の年明けから、松本清張と横溝正史の原作を映画で追ってきました。

それは同時に、岩下志麻ちゃんと出会える機会でもありました。しばらく志麻ちゃん映画に絞って追っかけていこうと思います。

中野実原作・渋谷実監督『好人好日』1961年

1950年代の奈良を舞台に、のどかな一家の日常。主人公の女性が恋人との結婚話を東大寺の大仏に話しかけに行くのが印象的でした。

岡潔がモデルとされるが不詳。天然ボケの数学者と切り盛りする妻のもと戦災孤児の娘が結婚に揺れながら前進します。

笠智衆・淡島千景と岩下志麻の名演で、ほんわかと楽しめました。

斎藤澪原作・増村保造監督『この子の七つのお祝いに』1982年

岩下志麻、根津甚八ほか。

てっきり横溝正史の原作と思っていましたが、第一回横溝正史ミステリ大賞を受賞した斉藤澪の同名小説を映画化したものです。

そういえば、都市の描写が多く、系図がシンプル。

犯行現場が凄まじい点に釣られがちですが、リアル殺害だけでなくリモート殺害とも重ねた構図と、それぞれの配役が合っていて面白いです。

日本映画史上でサスペンスホラー最強の女優って不動ですね。その女優を久しぶりに見て確信しました。

ネタバレが気になって書きにくいのですが、真面目にコメントすると、スタッフが一番怖くしたかったのは殺害の顛末でしょうけど、私も妻が一番怖くてウケたのは「わたしちゃんと知ってるわよ。前の奥さんとこっそり合ってること」あたりの《影の主役》の発話場面でした。

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