この記事では古代中国の印刷術をふりかえり、活版印刷の誕生から聖書の出版までをたどり、ルネサンス期(14世紀~16世紀)ヨーロッパの発展をたどります。
活版印刷の実用化によって聖書を印刷するテクニックをもったヨーロッパ人は、聖書出版から布教活動へとキリスト教を世界中に広めていきます。

むかし、世界中のホテルに聖書が置いてありました。
日本史ではキリスト教伝来という事態です。経済史ではモバイル資本主義の展開にあたります。
本のモバイル性
マンツーマン型アイテム
私たちが本を読むとき、オンライン書店や実店舗書店で買ったり図書館から借りたりします。また、書店や図書館へ本を読みにも行きます。
この点からみると、読みたい本と向き合う意味で本は1対1のマンツーマン型アイテムです。
この場合、私たちは本の中身と向き合っています。
大量生産型アイテム
見方を変えて、本をモノとして外見と向き合ってみましょう。
私たちが手にする本は印刷されたものです。
本というモノは書店や図書館よりも遠方の出版社や印刷所からもたらされています。私たちが本を手にできるのは印刷製本と配送というモバイル活動によります。
ふつう本の印刷部数は、ベストセラーで万単位、専門書では500部といったところです。
部数がどうであれ、本は筆写で作られるものではなく、印刷技術を使って作られた大量生産型(量産型)アイテムなのです。
この印刷技術には、木版印刷、活版印刷、グラビア印刷、オフセット印刷などがあります。今の主流はオフセット印刷です。
これら印刷技術の歴史をたどりましょう。
印刷技術の歴史
量産型アイテムである本を作るために、印刷技術は次のような変化を遂げてきました。
- 紀元前3世紀(秦代)彫版印刷(石版印刷)の発明発明経緯は不詳。始皇帝が印鑑(印章)に利用
- 8~9世紀頃(唐代)彫版印刷(木版印刷)の発明発明経緯は不詳。官刻・家刻・坊刻に利用
- 11世紀半頃(北宋時代)活版印刷の発明畢昇(中国)が粘土を焼くことで活字化
- 1450年頃活版印刷の実用化ヨハネス・グーテンベルク(ドイツ)が可動式の金属を使って活字化
- 1796年石版印刷の発明1853年にオフセット印刷の特許が取得(イギリス)、1904年に紙へのオフセット印刷機を開発(アメリカ)
105年に中国で蔡倫が紙を発明し、唐代(8~9世紀頃)には木版印刷がはじまっています。宋代には木版印刷が隆盛期を迎えました。
木版印刷と活版印刷
木版印刷(彫刻印刷)と活版印刷(活字印刷)の違いを一言でいうと、木版印刷では1ページ全体の板(板)をつくり、活字印刷では1つ1つの単字を並べ替えて版をつくる点です。
木版印刷は彫版印刷ともいって、木を彫って色料のつく部分とつかない部分に分ける印刷方法です。つまり、印刷に必要な文字をすべて木の板に彫刻します。
これに対して、金属に文字を彫刻したもの(活字)を1個ずつ並べて文章にした版を作り、色料をつけて印刷する技術が活版印刷です。
ふつう、印刷技術の歴史は書写にはじまり、木版印刷から活版印刷へと発展したように書かれます。
確かに木版印刷には次のような欠点がありました。
- 本を1ページ印刷するたびに1枚の版を刻む
- 厚くて大きい本では数年から数十年かけて刻む
- 1枚の本版は大量のスペースを占めて保存しにくい
これらの欠点は、木版印刷が遅いことと保存しにくいことを示しています。
しかし、本版はゲラよりもオリジナリティに富んでいるとも考えられますし、文化の広がりが小さかった時代において、印刷のスピードや本版のスペースはさして問題にならなかったでしょう。
そして、中国語の特徴をみると、木版から活版へと印刷技術の最先端がシフトしたとは一概にいえません。このシフト説にもとづいても、中国で活版印刷が発明されたにも関わらず実用化が進まなかったことを説明できません。
中国語や日本語のように漢字の多い言語(表意文字が多い言語)では彫版印刷(木版印刷)が向いています。もし中国語で活版印刷をするなら20万個の活字が必要です。

20万個の活字を組み替えて版を作るより、版を彫ったほうが速いです。
これに対して、ヨーロッパの言語は表音文字で一文字の画数が少ないため、活版印刷が便利なのです。アルファベットなら100本ほどで済みます。

音素文字が少ないと、彫って文章を作るより活字を組み替えたほうが速いです。
彫版印刷(木版印刷)と活版印刷の違いを今に置き換えると、パソコンのキーボード入力を「かな入力」をするか「ローマ字入力」をするかの違いになります。
「かな入力」ですら60個ほどのボタンを覚える必要がありますが、「ローマ字入力」ではその半分ほどで済みます。
活版印刷の発明と実用化
11世紀半頃(北宋時代)に中国の畢昇が活版印刷を発明しました。
その後、中国では活版印刷が木版印刷とともに続きましたが、主流は木版印刷でした。
1450年頃にグーテンベルグが活版印刷を実用化して聖書を印刷しました。この聖書は「グーテンベルク聖書」といわれます。
1456年頃、聖書が活字で初めて印刷されました。ラテン語聖書でした。
1470年にドイツのニュルンベルクでアントン・コーベルガーが印刷工場と出版社を経営。活版印刷による印刷業の勃興期では大きな工場でした。
コーベルガーによる重要な出版物の一つが1483年に出版した2巻の聖書です。
彼の印刷所はヨーロッパで最大規模をほこり、印刷工、植字工、イラストレーター、イルミネーターが働いていました。24台の印刷機と100人以上の職人がいたといわれますが、これはさすがに大袈裟との評価も。
コーベルガーはヨーロッパ中でビジネスを展開するメディア界の大物でした。本を知的商品としていち早く認識し、書店をとおして販売する方法をとりました。
モバイル資本主義の展開:聖書の出版と翻訳
15世紀後半にヨーロッパ人は活版印刷によって聖書を印刷するテクニックをもちました。
聖書のモバイル性は活版印刷を生んで、自分自身が伝播していく強力な味方にしたことです。
1517年10月31日、マルティン・ルターが95ヶ条の提題をドイツのウィッテンベルク(現ルターシュタット)の城教会に発表しました。贖宥状(免罪符)頒布に反対した声明です。ここから宗教改革がはじまります。
この提題のドイツ語訳はすぐに印刷され、2週間ほどでドイツ国内のいたるところで見受けられるようになりました。
ベストセラー作家ルターの誕生
1522年、マルティン・ルターは「新約聖書」をドイツ語に翻訳し、「旧約聖書」の翻訳も加えて1545年に最後の修正版を出版しました。
ルターの翻訳による聖書をルター・バイブルといいます。

1534年版のルター・バイブル
この画像はルター・バイブル(ドイツ語:Lutherbibel)の一つ。
マルティン・ルターがヘブライ語と古代ギリシャ語を翻訳したドイツ語版聖書です。1522年9月に新約聖書を、1534年に旧約聖書と新約聖書とアポクリファを含む完全版聖書を出版しました。
ルターは1545年までテキストに改良を加え続けました。ラテン語のヴルガート訳だけでなく、ヘブライ語やギリシャ語の原典を用いた初のドイツ語への完全翻訳聖書でした。
ドイツでは、1520年から1540年までの20年間で、その前の20年間にくらべて3倍の数の本が出版されました。マルティン・ルターはこの印刷革命の中心にいました。
ルターの著作は1518年から1525年にかけて販売されたドイツ語出版物の3分の1以上を占めました。1522年から1546年にかけてルターのドイツ語訳聖書は、完訳本と部分訳をふくめて、全部で430版を数えました。
ルターは有名な最初のベストセラー作家となったわけです。換言すると、ルターは自分の名前で新著を売ることができる最初の作家となりました。
ここに印刷市場社会(印刷資本主義)が形成されました。
この点からみると、ルターは著者であり作家でした。彼の訳した聖書を愛読する人々は、プロテスタント信者であると同時に読者になりました。
宗教改革の進行:写本派カトリックvs出版派プロテスタント
印刷革命を機に、ドイツの周辺諸国でも宗教改革がスタートしました。厳密には宗教プロパガンダ大戦争というべきでしょうか。
いわば人々の心をめぐる闘いにおいて、プロテスタンティズムは基本的にいつも攻勢にたちました。プロテスタンティズムが印刷市場社会(印刷資本主義)をリードしたからです。
他方、反宗教改革派(カトリック)はイギリスとフランスで二分していたこともあり、プロテスタンティズムの宗教改革を容易にさせてしまいました。
カトリックはラテン語の砦を守ろうとしました。
1535年、フランス王国のフランソワ1世が王国内におけるすべての本の出版を禁止しました。印刷物に包囲されていく日常を目の当たりにしてパニックとなり、出版者には絞首刑を科しました。
象徴的だったのが1571年にはじまった『禁書目録』でした。
活版印刷にみる質から量への転化
これまでたどったように、活版印刷の実用化で印刷市場社会(印刷資本主義)が広がりました。そして、ベストセラー作家を生んで、人類は書籍(本)という学習ツールを入手していくようになります。
ルターの翻訳聖書はたくさん売れました。活版印刷はたしかに大量の印刷物をつくったのですが、写本で伝えられていた時代の聖書と印刷物の聖書では何が異なったのでしょうか。この点をさまざまな本やブログは伝えていません。
活版印刷機(グーテンベルク印刷機)は活字を並べて文章にします。
この印刷機は、後代のイギリス産業革命を先取りした実用化なのです。
写本をとおして人は聖書の文字を手で書いて頭に入れました。写本をする人と聖書を読む人は同じです。つまり、聖書内容の伝達作業をする人が聖書を学習していたのが写本の時代で、このケースでは生産者と消費者は同じです。
しかし、活版印刷機は異なります。
聖書の文字を手で並べなおして印刷機に組み込む人(印刷工)と、聖書を読む人(読者・信者)は、ふつう別人です。
活版印刷では印刷業者が生産者となって、印刷物を読む人たちが消費者となりました。作家(生産者)にくわえ印刷工(のちに一部は出版社へ)も生産者となり、消費者(読者)と区分されたのです。信者という点では信仰する方法や内容が変わったともいえます。
まとめ
この記事ではルネサンス期(14世紀~16世紀)のヨーロッパについて、活版印刷の実用化から聖書の出版までをとりあげました。
このドラスティックな流れは印刷市場社会を形成し、モバイル資本主義の勃興や展開ともいえる事態になりました。
印刷市場社会がすすむにつれ、著者・作家とともに読者という消費者もつくられていきました。それとともに、聖書を学習する目的から写本伝達という作業が消え、聖書の文章を伝えたり広めたりする印刷会社や出版社も新しく誕生しました。
少し補足しますと、印刷市場社会の拡大は出版業者によって行なわれました。初期の出版業者はヨーロッパ全域に支店を開設し、国境を越えて大書籍商たちのインターナショナルが生まれました。
さて、このあと、ヨーロッパの宣教師たちは聖書を手にして海外へ赴き、キリスト教の布教をはじめました。いよいよモバイル資本主義が展開していきます。
展望
活版印刷がキリスト教のなかでもとくにプロテスタンティズムと調和的だった点を考えることが大切です。
そして、活版印刷の実用化によって聖書が出版されるようになりました。印刷市場社会が形成されて、モバイル資本主義が展開しました。
そのあとキリスト教の宣教師たちは世界中で布教活動に着手し、モバイル資本主義が展開していきます。
このとき、キリスト教を起点にヨーロッパ中心主義が世界を覆っていき、ヨーロッパ各国は帝国主義や植民地主義のもとで近代化や西洋化を推し進めていきました。
キリスト教文化やヨーロッパ文化の拡散です。
ヨーロッパ各国がヨーロッパ中心主義を広めていった点が、ひょっとすると近代のナショナリズムをひも解くカギかもしれません。
もう一つ、彫版印刷(木版印刷)は文字の複雑さや漢字の多さから仏教に適していて、活版印刷は文字や音素のシンプルさからキリスト教に向いています。
文字の複雑さや漢字の多さという特徴を仏教が変えずに、キリスト教よりも長い歴史をもっていることも考えていきたいと思います。口頭や写本による伝達、つまり密教性において仏教のほうが強かったからでしょうか…。
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