上海の風景が新鮮にみえるリープフロッグ型経済発展
最近でリープフロッグ型経済発展を成し遂げた国が中国です。
私が来るたびに寄ってしまうのが中国の発展の象徴となる上海です。
とくに浦東と外灘方面には必ず行きます。
この20数年間で浦東の高層ビル群を写すアングルが変わりました。
2004年12月や2013年3月は東方明珠が中心に来るような場所を模索。まだ上海中心大厦が建てられていませんでした。
ところが、2016年8月に写した写真では左端に東方明珠、右端に上海中心大厦(Shanghai Tower)が入るように撮しています。
上海中心が建てられて以来、この角度がデフォルトになりました。
上海の20年間は超高層ビルが数年後とに増えていく時間でした。
1990年代に東方明珠が建てられて以来、上海浦東地域はこのテレビ塔を中心に写されました。
上海中心大厦がオープンした2010年代後半に浦東地域は左に東方明珠、右に上海中心をもってくる撮影アングルが主流になりました。
リープフロッグ型経済発展とは単なる足し算やキャッチアップ型工業発展ではありません。計算ができないようなジャンプをして、アングルが一気に変わるのです。
今の日本のようにキャッチアップ型の社会は過疎化と老朽化に落ち着きます。21世紀日本の課題はメンテナンスになってしまって、新しい技術や経済発展ができる余地はありません。
リープフロッグ型経済発展によって、過密地域で手がつけられなかったはずの上海の風景が新鮮にみえるのは私だけでしょうか…。
リープフロッグ型に関する中国エッセイや野口悠紀雄の書籍は次をご覧ください。
浦東開発の段階的な印象
浦東は1990年代の中国で改革開放政策の焦点となりました。
2000年代に大開発が進みますが、ゴーストタウンが目立ち、開発が進んでいるように見受けられませんでした。
ところが2010年代になると、この辺りの地域が急速に開発されていることを痛感しました。
これまで田畑や湿田しかなかった地域にどんどんマンションやビルが建っていきました。そしてゴーストタウンではなく、はっきりと人々が暮らしている姿を目にするようになったのです。
浦東から振りかえる上海開発の推移:ドラマ「大浦東」と現実の浦東
2020年8月にCCTV大富で「大浦東」というドラマが放映されていました。
このドラマは1990年代から2010年代にかけて上海の改革開放が進むなか、上海の開発を金融面で担った若者たちと地域住民をとりあげたものです。
陸家嘴や浦東洋涇老街の風景がしばしば出てくるので、懐かしみながら視聴しました。
このドラマは成功物語が散りばめられていて、一概に上海の改革開放時期をトータルにとらえたかは分かりません。
しかし、改革開放に向けて上海の人々が行政から一般民衆まで一体となって突き進んでいるのを活き活きと描いていました。まさに1990年代から2010年代にかけて上海の大開発が浦東を中心に進展し、浦西から独立していく躍動感を感じました。
いま振り返ってみれば、浦東はドラマも現実も活気に満ちていたのだと思います。ドラマの上海も現実の上海も懐かしいです。
なお、放映元のCCTVをはじめYoutubeやBaidu百科などでは「大浦東」のバックナンバーを全て載せています。ぜひご覧ください。
謝辞
2017年8月25日頃の上海旅行。
当日まで私は妻と一緒に雲南省昆明市にいました。
親戚が上海の知人を頼りにホテルを予約してくれましたが、そのホテルは松花江路にある中国人限定のホテルで、外国人は宿泊ができませんでした。
私たちはやや移動疲れがあり、知人は別のホテルを予約するのに帆走してくださいました。
私や妻に配慮して、浦東新区濰坊路にある「中星酒店服务式公寓」という広いホテルを予約し直していただきました(浦東南路)。この御配慮には今でも恐縮と感謝がたえません。
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