恋愛と贅沢と資本主義:経済社会の原動力は何か

4.0
ブックレビュー
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著者のヴェルナー・ゾンバルトはマックス・ウェーバーと並び称されたドイツの経済史家です。

本書の原書 “Liebe, Laxus und Kapitalismus” は1912年に書かれました。

20世紀初頭に消費から経済史をみた珍しい本。私たちの生活を突き動かすのは禁欲か贅沢か。マックス・ウェーバーの禁欲主義にたいして恋愛や贅沢に注目する欲望主義。19世紀フランスの宮廷恋愛からヨーロッパ経済史へと視野を拡大し都市論や貿易論にも言及。

マックス・ウェーバーが資本主義成立の要因をプロテスタンティズムの禁欲的倫理に求めたのにたいし、本書でゾンバルトは奢侈・贅沢こそエンジンだと結論づけました。

地味な経済史分野でこれほど抱腹絶倒を約束してくれる本は、まずありません。

ウェーバーとの対比

ヴェルナー・ゾンバルトは、経済エンジンとなる奢侈・贅沢の背景には女性がいて、贅沢は姦通、畜妾制度、買売春と深く結びついていたといいます。

かくて著者は断じます。「非合法的恋愛の合法的な子供である奢侈は、資本主義を生み落とすことになった」と。

2,000回噛んだ後のスルメを噛み直すほど禁欲的で味気ないウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」。

これにくらべ、ゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』を読んでいると、キャンディー、ケーキ、紅茶に珈琲といろんなデザートを楽しんでいる気分になれます。

実際、コーヒーをまとめて取り上げていますし、衣料品を恋愛と関連させて大きく述べています。

ウェーバーが禁欲、ゾンバルトが食欲と性欲です。

本書の特徴

資本主義経済の原動力は何かという問いについて、マックス・ヴェーバーが「禁欲」に要因を求めました。

『恋愛と贅沢と資本主義』は「奢侈」(贅沢)に答えを求めます。

フランス貴族の奢侈が世界経済を促進した観点から、18世紀後半以降のフランス奢侈産業の隆盛をくわしく述べています。

18世紀・19世紀にヨーロッパに集積した織物製造業・アパレル製造業の実態を大局的に論じた『恋愛と贅沢と資本主義』は希有な「ファッション経済史」「消費経済史」です。

本書の位置

1910年代、ヴェルナー・ゾンバルトは『近代資本主義』のために経済史研究の諸成果を複数刊行しました。

その1冊目が『ユダヤ人と経済生活』です。ここでは、ユダヤ人の神ヤハウェがヨーロッパの諸国民にとって経済生活上で重要な意味をもった点を記しました。

そして、第2弾として刊行しようとしているのが、近代資本主義の形成にあたって、富の神と武の神という別の二柱の神が演じた役割です。

この前半は「贅沢と資本主義」を扱い、後半では「戦争と資本主義」を取り上げる計画でした。

本書『恋愛と贅沢と資本主義』が前半に該当し、このタイトルを訳者が「恋愛と贅沢と資本主義」と題したのは妥当です。

ヴェルナー・ゾンバルトによると、十字軍の遠征以来に経験した変革をとおして、ヨーロッパ社会では男女両性間の関係が変化しました。この変化によって支配階級の生活様式がすべて再編成されました。

さらに、再編成された社会が近代の経済組織の建設にたいして本質的な影響を与えたとみています。

内容

第1章:新しい社会

ヨーロッパでは土地に根ざした貴族身分を、新興の工業資本家がめざして獲得する話。イギリスのジェントルマンなど。

次の2点とそのまとめが(読んでいた大学院時代)声を出して笑ってしまいました。

貴族階級って買えたんですよ!

  1. 1614年、以前から行なわれてきた封建的土地所有の新興成金への移行が、法的にも許されることがはっきりと認可された。
  2. 17世紀末から貴族免許状の購入が可能になった。1696年に500、1702年に200、1711年に100、が発売されている。
  3. これまで述べてきたような、貴族と新興成金との結婚は、ここ20年間くらいのアメリカにおける養豚家の娘たちの結婚の歴史と全く同じである。

第2章:大都市

金融業を中心に大都市が形成されて、新旧の貴族が集住しました。

これに関連する産業(ビール製造業や衣料関係とか)が発展し、奢侈品の生産と消費が形成されるという話。

ここでは、中世から近世にかけてのヨーロッパの大都市をあれこれと時間軸で分類したり特徴を示したりしています。

また、奢侈品産業と都市との関わりから、ヨーロッパの没落都市と繁栄都市の浮沈をランキング表示していて面白いです。

日本のように遠い地域で世界史を勉強すれば、ギリシア、ローマの古代から突然近代のロンドンとパリが出てきませんか…?!

第3章:愛の世俗化

本章ではヨーロッパ中世の恋愛を大きく二つに大別して描いています。

神のもとでの男女愛と、女性を神にした愛の二つ。

そして形式愛は愛抜きには考えられないもの、人生を強制するものとして述べています。

宗教的な愛は貴族のせいで世俗的な自己中的愛へとずり下げられてしまったようです。

17世紀ないし18世紀において、フランスが今日いうような「愛の大学」になった。フランスでは愛の生活が変態性にまで繊細化し、生活の全てが愛のためにだけ存在するという考えが18世紀の本質となった。この点でパリは最高の精神的発展を遂げたといえる。(中略)中世の恋愛詩人の時代にカペラーヌス、ラウレンティウス・ヴァラ、ベンボであった恋愛理論家は、この時代に、ブラントーム、レティフ・ド・ラ・ブルトンヌ、サド侯爵が挙げられるようになった。

「愛の生活が変態性にまで繊細化」が気になる所ですが、それはサドなどを読んで下さい。

ゾンバルトはここに留まらず先へ進みます(笑)。

中世における恋愛に関する論点で広くいわれてきたのは、神のもとでの男女恋愛とは、結婚という制度を通過するというありきたりの話。

神の前で制約・誓約して二人の関係が浄化されることによって男女愛が成就するという妄想です。

ゾンバルトの注目する2つ目の、女を恋い焦がれるものとして男が求愛するパターン。

これがマゾッホを想像させて面白い。

典型例に宮廷恋愛を挙げ、貴族の婦人(とくに夫人)を口説き落とす騎士というパターンを強く描いています。

1つ目のパターンが広く知れわたっている一方で、中世から近代にかけてのヨーロッパ宮廷では、2つ目の恋愛が強大に幅を利かせるようになったとみたわけです。

当時の経済って政治家と貴族が握っているんですから、2つ目の恋愛に注目するのは経済史として妥当です。

第4章:贅沢の展開

第3章の愛の通説をもとに、第4章で貴婦人たちの経済史として奢侈品の変動を分析しています。

たとえば、女性と砂糖との密接な関係、コーヒー・紅茶・ココア・ケーキなどの飲食における奢侈産業の成立など。

巨大な人口を養わなければならない大都市の形成とともに、宮廷が宮殿へと縮小化され、室内への奢侈が注目されるようになりました。

西洋芸術のバロックからロココへの転換です。

ロココの勢いがつよく、家具調度品や花瓶や絨毯などがもてはやされるにいたったと導出。

そもそも、近代というか近世というか、18世紀前後の宮廷恋愛は女性が支配的でしたが、宮廷の経済生活・文化生活全般においても女性が「勝利」したとゾンバルトは考えました。

たしかに、男性のルイ14世は、複数の妾や正妻のためにヴェルサイユ宮殿を建てたり、あれこれと贅沢三昧をしました。

でも、ルイ14世が女性たちにヴェルサイユ宮殿を建てさせられたのだとゾンバルトはみるわけです。

ふつう、教科書では当時一番の権力者が「建てた」と書きますが、この点のギャップに笑いを抑えられません。

女性の勝利をフェミニズム的に「つくられた勝利」と考えても何にも面白くありません。やっぱり池田理代子のご登場を願いたいところです。

エピソードとして笑ってしまったのが、17世紀頃のイタリア貴族たちの生活をルイ14世が「なんて贅沢なんだ」と言った話です。

私なりの関心はほかにもあります。

繊維でいえば「綿の勝利」というべき綿製品(コットン製品)の流行がとりあげられています。

17世紀後半のイギリスやフランスが東インド会社を経由して輸入した品目は、香辛料から綿製品へと変わっていきましたが、この綿製品の占める比率が7割から8割だったという衝撃。

世界史のいうように、イギリスではインド産綿布とくにキャラコの輸入禁止令が出されました。

フランスではポンパドゥール夫人が綿布輸入禁止法案を却下し、むしろ奨励に向かいました。

第5章:奢侈からの資本主義の誕生

木綿(コットン)のインパクトは具体的に分かりました。

本章は絹紡績工業をはじめ、ヨーロッパ内の重要な奢侈製造業をいくつかピックアップして、自説の論証をしています。

次に引用するの葉第4章につづいてコットン。

コットン、いいかえればインド木綿から作られたプリント地や、アジアからヨーロッパに送られた他の種類の木綿製品は、17・18世紀に対インド貿易の重要な品目であり、贅沢品として輸入されてきたが、現在では郵便局に勤める女子職員でも着用している。当時には、インド産コットンの衣服は上流社会に取り入れられ、地元の生産者たちと対立した。彼らは上質の布や絹製品メーカーであったにも関わらずである。1700年以来、フランスなどの国家はコットン使用を禁止するにいたるが、この手の禁令は効果をもたなかった。

本章では奢侈品商業と奢侈品農業を中心に論じています。

奢侈品工業(製造業)をもっと詳しくとりあげてほしかったところですが、とにかく面白い一冊です。

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