経済学の文法:助動詞「ようだ」

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今回は経済学の文法としてグローバル時代の助動詞「ようだ」を考えます。

助動詞ようだそのものが経済学の本に載ることは少ないです。とくに実証研究では使わず、登場するとすれば経済学史かと思いますが、それでも珍しいでしょう。

以下では、助動詞「ようだ」を使う問題点をとりあげ、「ようだ」の説明に続けます。

そして、経済学で混乱を招く使い方として悪例を示し、代替案を出します。最後に、どうしても「このように」を使うときのポイントにも触れておきます。

問題点

問題はようなようにといった活用で使われることです。「このような」や「このように」です。

とくにようには、後続の文章が否定文のときに読者を混乱させます。ように意味範囲が否定形まで含むか含まないかが分からないからです。

そうなると、文章の意味を理解してから、その文章の文法を理解することになって、読解の順序が逆転します。

そもそも、ようだには比喩や推量のニュアンスが強いので、使用は避けましょう。数学に憧れた緻密性を掲げたはずの経済学には、意外に助動詞「ようだ」が頻出してきました。

また、助動詞「ようだ」は異文化間でズレる可能性もあります。グローバル時代に「ようだ」はできるだけ使わないのが無難です。

助動詞「ようだ」とは

ようだは助動詞で、何かをたとえて示したり、おしはかったりするときに使います。直接的な表現を避けて、物事を間接的に表します。

経済学でよく使われることには理由があります。そもそも日本語全体でもようにようなは頻出の助動詞です。とかく日本語は間接表現を好むことが理由です。

しかし、経済学は直接表現をする必要があります。曖昧ではいけません。

ようだには比喩や推量を中心にして次のような使い方があります。

  1. 物事がほかの何かに似ていることをたとえて表わす
  2. 不確かな断定や推量を表わす
  3. 何かをする目的を表わす
  4. 代表的なものを具体的に例として示す
  5. 物事をとりあげて示す

経済学の文法:経済学で混乱を招く使い方

経済学で混乱を招く使い方が「このような」や「このように」です。

次の文は神武庸四郎という経済史家が書いた文章です。

とにかく「イギリスの産業革命」はこのような機械をつくりだして資本主義システムを大きく変化させた。しかも、ただ孤立的に機械がつかわれるようになったのではなくて「機械が機械を含むシステム」をつくりだした点に特徴がある。神武庸四郎『経済史入門―システム論からのアプローチ』有斐閣コンパクト、116頁

この文章は産業革命論のなかで機械について述べていいます。

筆者(神武氏)は機械を《人間の生産活動をおこなう、人間ではないシステム》と考えます。そして、《人間の生産活動をおこなう》点を厳密に述べなおして、《生産活動の実現を目的とする》とし、機械を《目的論的構造をもっている》人間ではないシステムだとまとめます。

この後に、上の引用部分がきます。

説明が長かったためか、筆者は「とにかく」から新段落をはじめ、「このような機械」と勇み足で文章を進めます。せめて、「このような機械」を「人間の生産活動を代わりに行なうシステム」とでも換言していれば、かなり読み進めやすかったはずです。

このような機械」を、《目的論的構造をもっている》人間ではないシステムとして理解するには、読者はストップしないと無理です。

また、引用の2文目は「しかも」からはじまり、「孤立的に機械…」という文章がつづきます。「孤立的」が唐突な印象なうえ、「つかわれるようになったのではなくて」は冗長です。

著書あるあるですが、筆者の暴走です。

「使われたのではなくて」でOKです。そのあとに、「機械が機械を含むシステム」も誤解を招きます。機械の中に部品ではなく別の機械が存在しているように読めます。

この箇所で筆者はマルクスの《機械システム》という分かりにくい言葉を必死に説明しようとしています。その気構えは分かるのですが、マルクスの言っている機械システムは原動機・伝導機構・作業機・工作機械の4種がシステムとして合成されて《複合的なシステム》になっていると続けます。

これでは、もはや、何がシステムで何が機械か分かりません。さらに、原動と作業をするのは「機」で、伝導だけ機構で、工作するのは「機械」となっています。これらの言葉を使ったのは筆者でしょうか、マルクスでしょうか。筆者かマルクスか区別すらできなくなっています。

もはや誰が書いているかが分からなくなる文章は、マルクス主義あるあるです。

どうしても「このように」を使うとき

研究会や学会などで「このように」が出てきたら、「どのように?」と問いただしましょう。

すると、相手の教員や研究者は黙ります。客観的に後述文とつながるとは限らないからで、報告者は自分の思い込みを知らさせるからです。

とくに「このように」は前文と後文を結びつけるときに使いますが、この接続に客観的な基準があるかどうかが研究力になります。

上述の5つの使い方に前文という発想はありません。「3」を除いてほとんど名詞に続きます。たとえば「星のような輝き」や「星のように輝く」です。「3」は「早く着くようにタクシーに乗った」などです。

「ような」「ように」を使わずに同じ趣旨を示すには「ような」の代わりにこれらの以上のを使い、「ように」の代わりにためにとおりになど、接続をはっきりさせる言葉を使います。

くりかえしますが、経済学は直接表現をする必要があります。曖昧ではいけません。

あえて文章同士をようにで結びつけるなら次のように明示しましょう。

【前文1+前文2+ように+後文】という構造を念頭におきます。

前文1と前文2の語句や文意のなかに後文を明示するヒントやキーワードを入れる。客観的な基準を十分に読者へ伝えておく必要がある。

まとめ

経済学はファンタジーではありません。

方法的にアメリカの経済学を輸入しておいて、執筆時に国内的な曖昧表現でごまかす悪癖が日本の大学教員や研究者に多いです。

経済学は直接表現をする必要があります。風見鶏や曖昧鶏ではいけません。

論文や著書、そして授業では、事例をきちんと明示したり客観的な基準を提示したりを心がけてください。

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