日本史からグローバル経済史の流れを学ぶ

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この記事ではグローバル経済史(世界経済史)の流れを分かりやすく説明しています。

わかりやすさを心がけるために、大学受験の世界史や日本史を学んでいない方を念頭に説明しています。

経済史は産業革命や蒸気機関をはじめとするいろんなテーマが設定されます。テーマで説明すると読み手には難しいので、最初に登場人物(主役)を設定します。

ここで登場人物(主役)を決めるときに、いくつかの視点を参考にします。登場人物(主役)の人間関係を抑えることで自然とテーマや展開がわかってきて、経済史の流れをつかみやすくなります。

今回は日本史からグローバル経済史の流れを学びます。

  1. 中国をとりまく周辺事情:古代の朝貢貿易
  2. ポルトガルをとりまく周辺事情
  3. 中国の大航海時代
  4. ヨーロッパの大航海時代

以上の4点がおもな内容です。

日本史からグローバル経済史の流れを学ぶ

日本史をヒントにしてグローバル経済史で主役となる登場人物を設定します。

経済史でリードしてきた国を太字にします。

  1. 古代…政治経済面でも文化教養面でも、中国と朝鮮に多くを依存
  2. 中世中国に長く依存しながら、ポルトガルと出あい
  3. 近世…鎖国のもとで、対外的な通交を中国オランダ・朝鮮・琉球に限定
  4. 近代…開港(開国)のもとで、政治経済面の多くをイギリスドイツアメリカに依存

中国をとりまく周辺事情:古代の朝貢貿易

古代から中世までの日本史でよく出てくるのが中国朝鮮です。

GDPの世界比較では1870年代まで中国がインドと1位・2位を争っていました。グローバル経済のなかで果たした中国の役割は長期的かつ大きなものです。

明の時代、14世紀後半に日本南朝の征西大将軍懐良親王が拒絶したため、中国と日本との朝貢貿易はストップします。永楽帝の死後(15世紀初頭以降)、朝貢貿易は減退しました。

時期にもよりますが、中国の歴代王朝は中華思想をもとに日本・朝鮮・琉球や東南アジアにたいして貢物をもってくるシステムを運営していました。

貢物には3倍返しの「謝礼」があったので、中国と周辺諸国のこの関係を朝貢貿易といいます。

朝鮮半島では西暦100年ころから、日本列島では倭の五王(5世紀)からはじまりました。遣唐使派遣も朝貢貿易の一環です。

くわしくは「世界史用語解説」の「朝貢/朝貢貿易」をご覧ください。

明朝と清朝は海禁政策鎖国)をおこなって朝貢貿易を縮小させました。

ポルトガルをとりまく周辺事情:中世の大航海時代とキリスト教の導入

ところが、海禁政策(海禁令)が有効な時期だったにも関わらず、永楽帝はインドやアフリカまで大規模な遠洋航海を行ないました。有名な鄭和艦隊です。

ナショナルジオグラフィックのテレビ番組「中国と海洋文化」では、海洋史家のサム・ウィリスが中国の艦隊が進んだ回路をアフリカまでたどります。

中国の大航海時代:国家プロジェクト

中国の大航海時代の幕開けです。

鄭和艦隊の派遣は朝貢貿易の拡大だったといわれるように、明朝が直々に指揮した外国貿易でした。官僚制のもとでの大航海時代だったといえます。いわば国家プロジェクトです。

その前後、ヨーロッパではイタリアポルトガルスペインも大航海時代をむかえます。

そして、最初は地中海、やがては地球へと航海規模を広げていきました。グローバル経済史で注目したいのはヨーロッパの大航海時代です。

イタリア、ポルトガル、スペインは中国とは別のシステムで大航海時代をむかえました。別のシステムとは、王朝や政府が派遣しなかったということです。

ヨーロッパの大航海時代:民間プロジェクト

ヨーロッパの大航海時代は、民間人が王朝に航海の許可を求めることはしましたが、王朝が民間人に指示したわけではありません。

しばしば民間人が航海するときにお願いする援助を王朝が蹴ってしまうこともありました。いわば民間プロジェクトです。

民間プロジェクトなので、巨大なバックアップがありません。そこでイタリア商人たちは「危険分散システム」つまり保険会社を開発しました。

これまで存在しなかった保険と会社というシステムをつくり、イタリアは地中海貿易をリードしました。複式簿記を発明したのもイタリアでした。

地中海貿易に留まっていたイタリアは14世紀にルネサンスをもたらしました。

15世紀・16世紀になると、ポルトガルがおもにアジアへ、スペインがおもに南北アメリカ大陸へと航海領域を広げていきます。

【鉄砲伝来・キリスト教伝来】日本の種子島に来た最初の欧米人はポルトガル人でした。1542年または1543年のことです。また、イエズス会のフランシスコ・ザビエル(ポルトガル人)が鹿児島へ渡来しキリスト教カトリック)を伝えました。1549年のことです。

このあと、17世紀になるとヨーロッパの数カ国がインドへ本格的に進出しました。東インド会社の設立が大きなきっかけになりました。

オランダをとりまく周辺事情:モノと学術の導入

日本にとってオランダをとりまく周辺事情はモノと学術の導入に限られました。

不幸にもオランダの経済学が入ってこなかったのです。

1630年代に鎖国を導入したことから、オランダ経由でヨーロッパのモノが入ってきましたが、学術はオランダのものに限られていました(蘭学)。

英・独・米をとりまく周辺事情:19世紀と20世紀において工業化に違い

イギリス、ドイツ、アメリカをとりまく周辺事情で大切なことは、19世紀と20世紀において日本の工業化に違いがあった点です。

欧米3国から経済学が入ってきましたが、不幸にも選択肢として日本は輸入してしまいました。選択肢として学問を輸入すると蓄積も発展もしません。

この悪癖が日本の大学教育の根幹になり、建設的な議論をする基礎がないのです。

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