日本語教育史の時代区分と各期の特徴

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教授法の観点からみて、日本語教育の歴史(日本語教育史)は大きく4つの時期に分けることができます。

日本語教育史の時代区分
  • 第1期
    戦前・戦中
    日本語教授法の前夜
  • 第2期
    戦後から1980年頃まで
    伝統的な日本語教授法
  • 第3期
    1980年頃から1990年頃まで
    コミュニケーション中心の外国語教育
  • 第4期
    1990年頃から現在まで
    伝統主義派からの反論と折衷主義
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第1期(戦前・戦中):日本語教授法の前夜

戦前・戦中の日本語教育 第1期は「日本語教授法の前夜」 とでもいうべき時代。

この時期には、 国内国外で広く日本語教育が行われるようになっていましたが、一般に認められ、広く使われたオーソドクスな日本語教授法はまだ確立していませんでした。

しかし、 次の第2期に成立するオーソドクスな日本語教授法の基礎となる教育実践はすでに行なわれていました。

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第2期(戦後から1980年頃まで):伝統的な日本語教授法「直接法」

教育内容と教育方法の両面において、伝統的な日本語教授法が確立したのは、日本語教育の歴史の第2期になってから。

この伝統的な教授法は、 直接法あるいは直接教授法といって、1960年代にオーディオリンガル・メソッドの影響を受けながらも、30年あまりにわたり日本語教授法の基本的な地位を保ちました。

成立

伝統的日本語教授法では、日本語の運用能力を身につけるために、基礎となる知識能力を形成することが大切であると考えました。

また、基礎的な知識・能力の中心は、日本語の文を構成する要素となる文型と文法事項だと考えました。

そして、このような学習言語事項を習得させる方法として、媒介語や文法説明を用いずに絵や実物や動作などを使って設定した場面のなかで学習言語事項を理解させました。

同じくそのような場面において言語事項を使う練習をすることで、言語事項の応用的な能力を習得させる方法が採用されました。

いわゆる直接法です。

方法と教授法

本来、方法とは、基礎となる教授理論、教育目標の設定方法、おもな学習活動などを含めた外国語教育に関する考え方の総体を意味します。

しかし、伝統的な日本語教育では、教授法あるいは直接法という言葉は、しばしば媒介語を使わないで文型や文法事項をいかに教えるかということと同義かのように使われてきました。

つまり、教育内容と教授法という二項対立が成立していたのです。

この事情もあって、当時の教授法の議論には「教育内容の選び方がそもそも妥当であるか」、さらに「文型や文法事項の知識・能力を首尾よく獲得していくことで日本語運用ができるようになるのか」といった根本的な疑問が提起されることはまずありませんでした。

第3期(1980年頃から1990年頃まで):コミュニケーション中心の外国語教育

1980年代になると、それまで長く続いた直接法の権威が脅かされはじめました。

それより数年前に、外国語教育界に登場したコミュニケーション中心の外国語教育(Communicative Language Teaching、以下CLT)の波が日本語教育にも押し寄せたのです。

CLTは、そ れまでの教授理論、指導原理、学習活動や教材のあり方など、すべての面で外国語教育の変革を迫る、革命的な外国語教育革新運動でした。

そして、CLTの流れのなかで日本語教育でも、この運動にもとづく教育上の試みが行なわれ、また、CLTの指導原理にもとづいた新しい教材が多数開発され出版されました。

世界的な外国語教育の流れであるCLTは、日本語教育界を席巻して「直接法はもう古い。これからはコミュニカティ・プアプローチだ」 という雰囲気が支配的になりました。

第4期(1990年頃から現在まで):伝統主義派からの反論と折衷主義

伝統主義派からの反論と折衷主義

1990年代になると、それまで抑えられていた伝統主義派の反論が一気に噴出しました。

彼らはCLTの教授理論の妥当性に疑問を呈するとともに、伝統的な教授法に対するコミュニカティブ・アプローチからの批判は根拠のない不当なものだと反論しました。

そして、伝統的な教授法の指導原理の妥当性を支持する議論を展開して、従来から伝統主義の枠組みのなかでもコミュニケーション能力を養成する工夫がなされていたことを強調しました。そして、ほとんどの論者がコミュニケーションのための日本語教育という方向性を決して否定せず、伝統的な教授法を基礎に置きながらその上にコミュニカティブ・アプローチの学習活動を加味した折衷主義的な教授法が有効だと結論しました。

一方、このような伝統主義派からの批判に対してコミュニカティブ・ア プローチ派は何の返答も提出しませんでした。日本語教育は、指導原理の根本にかかわる問題を真剣に議論する絶好の機会を逸したのです。

新しい日本語教育研究

1980年代までは、本当の意味で外国語教育の専門家だといえる日本語教育者はとても少なかったのですが、この頃になると世界の外国語教育研究の流れをリアルタイムに受容してそれを研究や実践活 動に反映できる日本語教育者が増えました。

新しいタイプの日本語教育者たちは、学習ストラテジーの研究、 教師や学習者の外国語学習に関する信念の研究、 中間言語研究、授業の談話研究、学習ストラテジー訓練や自律的学習をめざした教育実践などを進めました。

そして、かつてCLT を推進した人たちが現在、これらの研究や教育実践の中心となっています。

ボランティアによる日本語教育

この第4期は、ボランティアによる日本語教育が始まった時期でもあります。

1980年代中期以降、職を求めて日本にやってくる外国人や、日本に来て日本人の配偶者となる外国人が急激に増加しました。

そのような人たちは、それまで在日外国人の多くが住んでいた東京や大阪などの大都市だけでなく、その周辺地域や日本各地に居住するようになりました。

そして、同じ地域に住む住民である彼らの日本語学習を支援するために、各地で日本人ボランティアによる日本語教室がはじまりました。

このような日本語教室が行なわれている地域では、多くの場合日本語教室と並行して各国の料理教室や文化紹介などさまざまな文化交流行事が行なわれ、これからの新しい多文化・多言語共生社会に向けての活動が展開されています。

つまり、ボランティアによる日本語教室は多文化・多言語共生社会に向けた取り組みの1つとして行なわれているわけです。

しかしながら現在のところ、そのような日本語教室の目的を反映して、日本語教室の諸条件に合致した新しい日本語教授法は現れていません。そのような新しい教授法の開発が現在の日本語教育の課題の1つとなっています。

まとめ

ここでは、日本語教育史の時代区分を行ないながら、第3期にあたる1980年頃から1990年頃までに登場したコミュニケーション中心の教育方法を紹介し、の日本語教育へつながるルートを説明しました。

コミュニカティブ・ランゲージ・ティーチング(CLT)を意識しつつも、1990年代以降は、日本語教授法が多様化して整理されていない状況にあります。さらにはボランティア活動が広く行なわれるようになって、教育者も教育機会も増えましたが、しっかりした教育法は確立されていません…。

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