2008年に勤務先だった大学の学生むけに書いた読書案内。
大学教師あるあるの研究の苦労話ではなく、中国旅行記と恋愛をまぜたエッセイにしました。故郷の奈良にも思いを馳せます。
かなり凝縮したエッセイだったので、場面描写を丁寧に書きなおしました。当時の文調は「だ・である」調でしたが、こちらへ掲載するにあたり、「ですます」調にしました。
私とはどこですか?:アイデンティティの歴史
私は、小さい頃から、奈良盆地西部に広がる山々を見ては、その向こうを知りたくなりました。
年月とともに、奈良盆地西部に中国が位置することを強く意識するようになりました。
- 私とはどこですか?
- 西には何がありますか?
これらのアイデンティティの問題を探るヒントが中国に隠されていました。
初めての中国
2004年の5月末、当時恋人だった浙江省の女性に会うため、私は初めて中国へ行きました。
上海浦東国際空港に着いた後、かねがね「立地が不便だから乗るな」と言われていた時速410キロのリニア・モーターカーに乗りました。
世界最速の列車に乗りたかったからです。
久しぶりに調べると、2022年1月現在でも世界最速の列車です。このリニアモーターカーを「上海マグレブ」や「上海トランスラピッド」といいます。
閑散とした地下鉄「龍陽路」駅に到着して改札を出た時、7名の男性に囲まれました。タクシー乗車の勧誘でした。
貧しい中国語を駆使して乗車を断ろうとしている最中に、20歳位の女性が近くを通りました。
「May I help you?」と言いながら近づいてきたので、お互い母国語ではない英語を使って話を進めます。
互いに母国語でない言葉で会話をするのは、意外に簡単です。二人は理解しあうことを優先して、互いの言葉を積極的に受け入れようとするので。
上海駅に行きたいと伝えると、連れて行く時間はあるとのことでした。
少し話が弾んだところで、私が日本人だと伝えたとき、彼女は少し気の重いような顔つきをしました。二人は暗中模索の状態になって、5秒ほど沈黙が続きます。
私は手探りで会話を探しました。
「上海駅」に向かうため、私達は地下鉄に乗りました。
少し話を圧縮したので、もう少し丁寧に再現します。二人が出会ってから沈黙までの会話は次のように進みました。
どうかされましたか?
浙江省の杭州へ行きたいんです。鉄道の駅に行く方法を教えてください。杭州の近くに僕の恋人が住んでいるんです。
分かりました。案内しましょう。
時間はあるんですか?
30分ほどあります。恋人が30分後に仕事を終えるので、デートです。
それじゃ、お言葉に甘えます。
どちらから来られたのですか?
大阪です。
大阪?それは韓国ですか、日本ですか?
日本です。
ふぅ~。
地下鉄で
二人で地下鉄に乗っている間、彼女は、恋人の話や、祖母から伝えられた日中戦争期の話をしました。
私の方は日中戦争期の話を受けて、林京子の小説を紹介しました。
林はいくつかの短編で、日中戦争期上海郊外の街路と人間模様を描いています。
彼女は三女特有の慎重な態度で戦場の上海を観察します。上海が暗いのは瓦礫となった石やコンクリートが大きく影を落とすからだという、幼少期の林の視線が鋭いです。
いくつかの駅を過ぎてから彼女は私に尋ねました。
「なぜ日本は中国を尊敬しなくなったの?」
なけなしの知識をペラペラと喋りながら、上海駅に着いた時に私は会話をまとめました。
石井寛治『日本経済史』第2版、東京大学出版会、1991年。本書は、日本経済史のオーソドックスな教科書。石井は、欧米、中国、日本という3地域を何とかバランス良く把握しようと試みました。
岡野玲子『陰陽師』白泉社(2005年の時点で全13巻)。本書は、夢枕獏原作の小説『陰陽師』をもとに、岡野が自分で調べたことも反映させたマンガ。絵は耽美的、内容は盛りだくさんで、小説よりも物語の具体性が深い。主人公の安倍晴明が、中国から厖大な学問・技術吸収を行なうことで平安朝を守ろうとした点が如実に分かる。
「この150年間、日本は、父であるヨーロッパや米国に憧れ、尊敬もしてきたが、母である中国を忘れ続けています」。
彼女は私をホームまで案内すると駅員に説明をして改札を入り、構内まで付いてきてくれました。
列車が発つまで、彼女は私の恋人について質問しました。日本で9ヶ月ほど付き合い、今月故郷へ帰ったばかりだと説明しました。
まさに浙江省行きの列車が出発のベルを鳴らしたとき、彼女は不思議そうに独り言のような言葉を漏らしました。
「おかしな話ね、私は何も知らないのに一方的に日本を嫌っていた」と。
「僕も同じ。中国や日本を知らない。あなたが中国人かどうかも知らない。今から女に会いに行くことだけは確かだ」と答えて、私は彼女に手を振りました。
私に訪れた転換と自己喪失:アイデンティティの問題
2005年夏
2005年に浙江女は私ではない男性と結婚することになりました。その夏に私は別れを告げに行きました。
帰国してから間もなく新しい恋人となったハルピン(哈尔滨)市出身の在日中国人が、「いずれ私が中国へ連れて行きますから、浙江省の写真は全て捨てなさい」と言いました。
2004と2005年に私は11度も浙江省へ行きましたが、今は一枚の写真も残っていません。
それから一年ほどが過ぎたある日、哈尔滨市女は「あなたのお陰で愛を知りました。これからは、あなたとの思い出だけで生きていけます」という台詞を残し、私の元から去っていきました。
2006年秋
2006年に私は人生の迷子になり、自己喪失に陥りました。
その年の2月に私は在日ハルピン女性に振られました。彼女は私よりも10年ほど年上で、一人息子を大学にまで行かせた、責任感の強い年上のシングル・マザーでした。
私は未練がましく彼女の故郷を知りたくなり、2006年9月に中国黒龍江省のハルピン市とチチハル市を訪ねました。
旅行案内書で絶景とされる小さな雪山がチチハル(齐齐哈尔)市の大乗寺付近にあると知り、地図帳のコピーを持ってホテルから歩きはじめました。
地図では5センチの距離だったので楽々到着するだろうと思ったのが間違いでした。縮尺を見ていませんでした。
一時間半歩いても到着する気配がありません。
とあるアパートの前で編物をする老人女性に現在地を尋ねると家具工廠街とのことで、地図ではまだ半分(2.5cm)しか進んでいないことがわかりました。
結局、出発から三時間半ほどで到着しました。
せっかくなので大乗寺を見て回りました。寺を出た所で、露店のおばさんたちに「この寺の近くに綺麗な雪山があると聞くが、見当たらない」と筆談で伝えました。
簡単な返事をもらいました。「今は九月、雪山は冬。あなたが見たい小山はあれ」とハゲ山を指されました。
二人の中国女性
二人の中国女性は私に破壊的影響を与えてくれました。
もはや、彼女たちに出会う前の私自身を思い出せません。
そして、2022年のいま、彼女たちの思い出も薄れてきました。
2003年から2006年にいたる時間を私は「芬凱路」と名づけています。ブレイクスルをしてくれた二人の中国女にちなんで。
ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン著作集10 一方通交路』幅健志・山本雅昭他訳、晶文社、1982年。本書は、ロシアの女優アーシャ・ラツィスとの恋愛経験を人生の多様性にまで拡散させた珠玉のエッセイ集。歴史を構造へ転換させた見事な叙事詩ともいえます。私が恋愛の記憶を「芬凱路」として街路名にしたヒントがこのエッセイ集に潜んでいます。
これまで女性たちが下していった私への主な評価を振り返ると、無国籍、香港風、ラテン系、現代の孔子、といったところに収まります。
私は小さい頃から、西の山々を見てはその向こうを知りたくなりました。
今となっては西に何があるかなど知りたくもありません。「その向こう」に行けば「その向こう」があるだけです。だからといって元に戻れるわけでもありません。
私とはどこですか?
- 私とはどこですか?
それは誰にも答えられません。
- 日本とはどこですか
- 西洋とはどこですか
- 愛とはどこですか
- 歴史とはどこですか
どこにもありません。
呼称(名前)があるだけです。
答えはありませんが、考える手段だけは残されてます。
- 日本とはどこですか…網野善彦『「日本」とは何か』講談社、2000年
- 西洋とはどこですか…ジャック・デリダ『他の岬─ヨーロッパと民主主義』高橋哲哉・鵜飼哲訳、みすず書房、1993年
- 愛とはどこですか…マルグリット・デュラス『モデラート・カンタービレ』田中倫郎訳、河出文庫、1985年
- 歴史とはどこですか…蓮實重彦・山内昌之『20世紀との訣別』岩波書店、1999年
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